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菊川市

代官屋敷黒田家

黒田家の歴史
黒田家の歴史

黒田家は源氏の血筋を引き、足利下野守義次のとき、越前黒田荘に居住したことから、黒田姓を用いた。永禄年間(1558〜70)に黒田義重が遠江国に移り下平川に住したといわれる。天正2年(1574)、武田勝頼が高天神城を攻めた際、黒田義則は高天神を守る一将であったが、落城後は武田・徳川方のいずれにも組みさず下平川に帰農した。江戸時代後期、旗本本多助久が不平川村周辺4500石を領すると、黒田氏はその代官に任じられ、明治維新まで領地支配に努めた。
 明治維新以降は、旧小笠郡の発展に貢献した。平田村長、小笠町長を歴任して、当地方の指導者として大きな功績を残している。
 また、黒田家は芸術にも理解深く、多くの芸術家が家を訪れ、いまなお残るそれらの作品群を、代官屋敷資料館で展示公開しています。

代官屋敷
代官屋敷

黒田家代官屋敷は、牧之原台地から流れ出した菊川・牛渕川とその支流が作った沖積地の自然堤防上に立地している。屋敷の周囲に巡らされた濠と、周囲の水路を利用して、小舟で物資を選んだ。また水害に際しては、米蔵をひらき、小舟で被災民の救済にあたったという記録も残っています。
 江戸時代に旗本本多氏の代官を努め、その家柄にふさわしい長屋門を構えた造りとなっています。
 母屋は寄棟造り、桟瓦葺きの建物で玄関は格式の高い式台を有する。江戸時代の代官屋敷らしい念入りな造りが随所に施されている。長屋門は寄棟造り、茅葺きの建物で2000石の格式を有する門であるといわれています。
 黒田家代官屋敷は、江戸時代末の代官屋敷の建築様式を伝え、この地方を支配し中心地としての役割をになった貴重な文化遺産である。昭和48年には母屋・長屋門・家相図が、平成5年には敷地と土蔵・米蔵を加え、一括して国の重要文化財に指定されました。

獅子ヶ鼻砦跡

大井神社

獅子ヶ鼻の砦は徳川家康が高天神城を包囲するために、天正8年(1580)6月に築いたもので、大須賀康高が守っていました。蓮池公園(現在の市営グランドの下は蓮池であった)の小径を登れば展望台に出ることができます。ここが砦跡で四囲の展望は素晴らしく、特に東方に富士山を望む景色は絶景です。

正林寺

正林寺と塩買坂
正林寺と塩買坂

文明8年横地氏・勝間田氏を討った今川義忠は、その帰路塩買坂にさしかかった時、横地氏の残党に不意をつかれ討ち死にをしました。その後義忠の菩薩をとむらうため塩買坂の近くに昌桂寺を開き、これが後の正林寺といいます。現在正林寺には義忠の位牌と五輪塔が安置されています。
 塩買坂は、相良から掛川、秋葉街道の難所の一つであり、塩や魚を運んだため塩買坂と呼ばれています。街道の変化によりその位置は何度か変化したようです。

寿桂尼
寿桂尼

寿桂尼は、今川氏親の亡き後駿河の尼御台として実力を発揮し、女戦国大名と呼ばれた人物です。この掛け図の作者、制作年代とも不明です。寿桂尼の肖像画はこれ一枚のみだといいます。平成2年には町指定有形文化財に指定されました。(※平成2年当時は小笠町でした)

今川義忠
今川義忠

義忠は今川家の戦国大名としての基礎を築いた人です。この木造は、高さ24.5cmの座像で一見僧形のようですが後は髪を結っています。平成2年には町指定有形文化財に指定されました。(※平成2年当時は小笠町でした)

丹野池公園

丹野池公園

昭和32年に完成した農業用溜池で、御前崎遠州灘県立自然公園の一部になっています。春は桜、夏は青葉、秋の紅葉と四季を通じて、行楽を楽しめます。
 渓谷にかかる橋梁や池をめぐらす周遊道路、東屋など、大自然に包まれた景観の美しい散策地です。

火剣山

火剣山

火剣山(ひつるぎさん)は標高282m、旧菊川町の北端にあります。旧小笠郡下の最高峰で、眼下に大茶園をのぞみ、大井川、遠州灘から、目を北に転ずれば南アルプスの峰々が眺められます。山頂の東の峰には遠州七坊のひとつ火剣坊大権現を祀り、かつて航空灯台があった『墓の峠』を経て西の峰に展望台があります。尾根を北にたどれば約20分で、遠州七不思議の『夜泣き石』伝説の『小夜の中山』にいたります。
 古くから山腹が急峻なことで知られる火剣山周辺は、山菜が豊富で、春先にはタラの芽やワラビをはじめ、ゼンマイ、フキなどを求めて多くの人々が山に入ります。毎年、さくらの季節には地区をあげて『わらび祭り』が行われ、数百尾のこいのぼりが渓をわたる早春の風に舞います。
 参道入口から芋沢(いもん)へくだる広場はキャンプ場になっており、駐車場、トイレも整備され200名ほどの宿泊が可能です。6月から10月の5ヶ月間は町営のバンガロー5棟が利用できます。

応声教院

応声教院

斉衡2年(855)比叡山の名僧茲覚大師により、文徳天皇の勅願所とする天台宗天岳院として創建された。《比叡山功徳院に住み、その弟子3,000人といわれた高僧『皇円阿闍梨』が弥勒菩薩の出現を願って嘉応元年(1169)遠江桜ヶ池(浜岡町)の竜神になった》という伝説がある。のちに浄土宗を開宗した法念上人が恩師皇円をしのび、桜ヶ池を訪れた帰途に立ち寄り歯吹如来像を安置し、天台宗を浄土宗に、天岳院を応声教院と改名したと伝えられる。皇円阿闍梨菩薩所、桜ヶ池奥ノ院と呼ばれるゆえんである。
 京都知恩院末、遠江十二支普賢菩薩霊場としても知られ、阿闍梨伝説の縁起書や準国宝の阿弥陀如来座像などの宝物も多い。境内には鐘楼堂、愛染明王堂のほか、10万体奉安できる水子地蔵菩薩所、のんべえ地蔵堂などが建てられているが、石段を上がったところにそびえ立つ朱塗りの山門が、ことに寺風を高らしめてきた。この間口7.80m、奥行3.60m、切妻造りの8脚門は、寛永3年(1628)徳川秀忠により静岡市の名刹『宝台院』に築造されたもので、大正7年(1917)この地に移築された。桃山時代の作風を今に伝える貴重な建造物として昭和29年に国の重要文化財に指定され、今日にいたる。

県立自然公園『横地城跡』

県立自然公園『横地城跡』

横地城跡は遠州きっての名族=横地一族が代々住んだと伝えられる典型的な山城跡で、県の重要文化財(史跡)の指定を受けている。平安中期、源八幡太郎義家の血を引く初代横地太郎家永により築城(1065年)され、鎌倉時代を経て室町中期、今川義忠に討たれて落城(1476年)するまでの約400年間栄え、その史実は『吾妻鏡』『保元物語』などに記されている。県下最大といわれる五重の宝篋印塔の上部が現存し、往時の名声をしのぶことができる。
 毎年4月に桜まつりの行われる千畳敷、西の丸を中心に東へ行けば中の丸を経て金寿城本丸(東丸)にいたる複雑な尾根道が続く、西に向かえば、一騎駆け、金玉落し、土塁跡、身討原、室町庭園跡、城主居館跡などが散在するが、多くは雑木林や茶園となっており、わずかに一族の墓が、その名残をとどめている。城山の麓にある慈眼寺から牛池、上池を経て林の中に尾根道にいたる散歩道がある。この道と、いまひとつ身討原下の谷田大池に抜ける山道には豊かな自然が残されており、ハイキングコースにふさわしい。近年、となりの菊川市(旧小笠町)丹野池に抜ける道も整備され、合わせて歴史を訪ねる散策ができる。

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