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探訪! 名所・旧跡

御前崎市

御前崎海岸

御前崎海岸

御前崎は日本でも有数の強風エリアで、御前崎海岸はボードセイリングのメッカとして広く知られています。
内海では、海水浴が楽しめます。近未来にはここに海水浴場を含んだリゾート施設”マリンパーク御前崎”が完成予定です。
干潮時には数百メートル沖合いまで、岩が露出する灯台下の海岸では磯遊びが楽しめます。小魚やカニなど、海生物の残った水たまりは、まるで小さな水族館です。
御前崎のきれいな砂浜はアカウミガメの格好の産卵地。毎年5月下旬から8月にかけて産卵のために上陸し、一度に120個前後の卵を産みます。卵は2ヵ月位でふ化します。(観光物産会館で産卵シーンを映像により見学できます。)

観光物産会館なぶら館

観光物産会館なぶら館

なぶら館は、御前崎市の持つ波と風のイメージをデザインした市の総合案内所です。『なぶら』とはカツオの群れという意味です。
 ここでは観光や物産の紹介、宿泊施設や食堂などのグルメ情報、マリンスポーツ、見みどころ、シーズンごとのイベントなどの詳細な情報を、マルチビジョンなどの映像機器を使用して紹介するとともに、御前崎の自然、歴史、文化、特産物などの実物、模型を展示、カラーパネルを使って紹介しています。

海鮮 なぶら市場
海鮮 なぶら市場

御前崎の沖は黒潮と親潮が合流する絶好の漁場のため、魚介類(カツオ・イセエビ・タイ・シラス・アワビなど)が豊富に獲れます。
 『海鮮なぶら市場』は御前崎港に水揚げされた海産物をはじめ、全国津々浦々から直送された海産物があふれんばかりに並んでいます。港町ならではの美味しさが、港町ならではの価格で、たくさん用意されています。

御前崎灯台

御前崎灯台

ここ御前崎は、地形の関係上、気象海象が厳しく、また暗礁が多いので昔から航海の難所と恐れられ多くの海難が発生しました。
 今からおよそ360年前の寛永12年(1635年)に徳川幕府が船の道しるべとして、この地に灯台の元祖ともいえるあんどん型の見尾火(みおび)灯明堂を建てたのが御前埼灯台の始めです。灯明堂は植物の種から取った油を使い、およそ240年もの長い間火をともし続けましたが、風や雨の強い日には役に立ちませんでしたので、難破船が後を絶たなかったといいます。
 明治5年(1872年)5月、英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもと現在の西洋式灯台の建設工事を開始し、明治7年(1874年)5月1日に点灯を開始しました。
 回転式の一等閃光レンズ(高さ259cm)を使用した灯台としては我が国最初のものでしたが、このレンズは太平洋戦争の時に壊されて、現在は三等大型レンズ(高さ157cm)に変わっています。レンガ造りの灯台は、建設以来120年以上になっています。

埼」と「崎」について

浜岡原子力館

浜岡原子力館

浜岡原子力館は浜岡原子力発電所の敷地内にある中部電力のPR館で原子力だけでなくエネルギーを中心とした科学全般についての知識を実際に見て触れて学ぶことのできる施設です。実物大の原子炉模型や直径18mのドームいっぱいに展開する迫力ある映像が楽しめるオムニマックスシアターなど興味深い施設、さらにシースルーのエレベーターで上るスカイラウンジからは、眼下の原子力発電所や遠州灘はもちろん、周辺の美しい自然を一望できます。広い駐車場と芝生の公園もあり、ご家族連れでまたカップルで楽しい一日をお過ごしください。

桜ヶ池・池宮神社

桜ヶ池と龍神伝説
桜ヶ池と龍神伝説

桜ヶ池は、三方を屏風のように原生林に囲まれ、深い緑色の水を湛え、神秘的な雰囲気が漂っています。広さ2万平方メートル、2万年ほど前、地殻の変動により形成された丘陵の凹地(谷)が南方より風や波によって運ばれてきた砂によってせきとめられて出来た堰止湖だとされています。古来より神池として信仰され、五穀豊穣、海上安全が祈願されてきましたが、平安末期、比叡山の名僧円阿闍梨が、末法思想に悩む一般大衆を救済するには56億7千万年後の弥勒菩薩の出現を待つほかなしと、身を龍と化し桜ヶ池に入定され、その後高弟法然上人が恩師の供養をされたという伝説により一層尊厳な池として崇められています。このような、神秘的な雰囲気と皇円阿闍梨入定伝説を持つ桜ヶ池は、昭和29年県指定名勝となっています。

納櫃祭
納櫃祭

遠州七不思議の一つ『納櫃祭』は、毎年秋のお中日に行なわれます。信者氏子の若者たちの中から選ばれた十数人が立ち泳ぎして北岸に至り、赤飯の入ったお櫃を水面に片手で泳ぎ、池の中央において順次これを沈め、龍神に供える行事で、五穀豊穣、心願成就の祈願と感謝を合わせもつこの神事は、古来一年も欠いたことがありません。神事に先立ち奉仕する若者は、精進部屋に籠り、井戸水でみそぎ、遠州灘の荒波をくぐって心身を洗い清め、お櫃の中に入れる赤飯は、桧の板を矢竹で強く揉み火をおこす鑽火で炊かれています。お櫃の奉納者は、北海道から九州まで全国各地に及び、当日の人出は1万余人にのぼります。現在このような神事は箱根神社にしか残っておらず、大変めずらしい民俗行事として、県指定無形民俗文化財となっています。

池宮神社
池宮神社

敏達天皇13年(584年)の創建とされるが、当時より桜ヶ池は神格化され、池そのものを拝んでいたものとされています。神殿の造営は、長保3年(1001年)佐倉氏の祖、源信栄の手によりなされ、その後栄枯盛衰激しく、江戸時代神官信盛が再興し現在に至っています。池宮神社は、古くから開運厄除、延命長寿、大漁満足、海上安全の神として信仰されてきました。また、水の神の信仰の系譜であり、信州諏訪大社との関連も深いそうです。本殿は、江戸初期風の意匠工法がみられ、小規模ではあるが注目すべき建物です。

浜岡砂丘

浜岡砂丘

遠州灘に広がる長大な浜岡砂丘は、太平洋側最大級の砂丘地帯です。天竜川から流出する土砂が沿岸潮流に乗り、『遠州の空っ風(からっかぜ)』と呼ばれる強い西風によって内陸に運ばれて形成されたものです。昔は砂の町といえるほど砂の被害が多く、西風が吹く度に飛砂による風下の集落や畑地の埋没があり、明治30年(1897)に長者塚の砂丘(池新田地区)固定化工事にとりかかり苦難の末、大正13年(1924)に至ってようやく砂の動きが止まり、その北側に150アール程の田畑を開墾することが出来ました。浜岡砂丘の本体の大規模な固定事業も明治の頃行われました。海岸沿いには極めて移動性の高い15〜20m位の高さの砂丘が海岸線と直角方向に並んでいた為、飛砂による被害が多く、そこで左図のような『人工斜め砂丘』と呼ばれる方法がとられました。斜め45度に『堆砂垣』を立て西風をあて風力が衰えた砂が垣の根に堆積していきます。砂の堆積が増えると、さらに堆積垣を補充して砂丘を作らせていきます。砂丘に吹きつける地表の砂風は、この人工斜め砂丘に導かれ大きく方向を変え、海岸の方へ進みます。これで既耕地へ侵入することがなくなりました。現在の人工斜め砂丘は浜岡独自の景観であり、風というエネルギーを巧みに利用した自然改造によるもので、全国でも希です。浜岡砂丘は市の貴重な文化遺産といえます。

風紋
風紋

砂丘の美しい芸術、風紋。天竜川から運ばれた石英80%以上を含む白砂と風速5〜6m/秒の風が創出する自然の造形です。11月から3月にかけて吹く西風は、砂を転がし、飛ばして風紋をつくり、また消してしまいます。風紋は二度と同じ形になりません。風紋を見るには強い西風が吹いた次の朝が一番です。風が弱まった時、静かな砂丘一面に広がる風紋は朝の光をうけて美しい姿を見せます。

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