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探訪! 名所・旧跡

静岡市

静岡県立美術館

静岡県立美術館

静岡市街を見下ろす日本平の山腹に立つ美術館です。所蔵品としては、日本美術は江戸時代から現代、西洋美術は17世紀から現代までの、 主に山水や景色等の絵画があるほか、「地獄の門」など30余点のロダンの彫刻を集めた「ロダン館」もあります。 また、美術館に続く300mのアプローチは彫刻プロムナードになっています。

日本平

日本平

昭和55年日本観光地百選コンクールの第1位に選ばれた日本平。特産の茶とみかんにおおわれた丘陵地・日本平は、麗峰富士の大観と、眼下に静岡市街、清水港、遠く伊豆の連山や南アルプスの展望をほしいままにし、その眺めはまさに日本一です。山麓には7.3kmにわたって『日本平パークウェイ』があり、春の桜、夏の夜景、秋の紅葉、冬の富士など四季折々に様相を呈し、ドライブには最適です。
 また、日本平山頂から久能山東照宮までロープウェイで結ばれており、ロープウェイからの駿河湾の眺めもまた最高です。
日本平ロープウェイは、日本平と久能山東照宮を約5分で結ぶロープウェイで、眼下に切りたった絶壁屏風谷を望み、 美しい春の新緑や秋の紅葉を楽しめます。また、ガイドさんが歴史や景観についての解説をしてくれます。

浅間(せんげん)神社

浅間(せんげん)神社

遠く平安の昔から駿河国の総社として栄えてきた静岡浅間(せんげん)神社。極彩色の壮麗な神社は、浅間(あさま)神社、神部(かんべ)神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社、八千戈(やちほこ)神社、麓山(はやま)神社を祀り、総称して静岡浅間(せんげん)神社と呼ばれています。
 7歳で人質として駿府に送られた竹千代(後の徳川家康公)は、14歳の時に、ここで元服式を行なったといわれています。現在の社殿は徳川十一代将軍家斉により文化元年(1804)から60余年をかけて再建されたもので、浅間造りの代表的な建物として知られています。平成5年からはこれまで非公開だった本殿も公開されています。また、境内に静岡市文化財資料館があります。

静岡市文化財資料館
静岡市文化財資料館

極彩色の浅間神社の一角、緑にかこまれるように静岡市文化財資料館はあります。ここでは、徳川家康公の元服腹巻きをはじめ、徳川家ゆかりの品々を展示、それ以前の今川氏、武田氏の資料も数多く展示しています。そのほかにも国の指定史跡、賤機山古墳の出土品や山田長政公奉納戦艦図写など歴史的に見ても貴重な文化財資料を見ることができます。

賤機(しずはた)山古墳
賤機(しずはた)山古墳

緑ゆたかな静岡の中でもひときわ目立つのが、浅間神社の後手に横たわる桜の名所でもある賤機(しずはた)山です。浅間神社を抜けて道なりに上って行くと、そこはもう賤機山公園。なだらかな山沿いの道がそのままハイキングコースになっており、自然を満喫しながら遠足気分が味わえます。また、この辺りは古墳群になっており、ちょっとした歴史散歩が実現します。古代人の足跡をみながら、静岡の歴史の深さを感じ取ることができるでしょう。

駿府公園 ・駿府城跡

駿府公園 ・駿府城跡

駿府城は、天正13年(1585年)徳川家康公が築城し、江戸に移るまでの4年間と大御所時代と呼ばれる10年間を過ごした城です。駿府城は絢爛豪華な城として有名でしたが、惜しいことに今ではその美しい天守閣を見ることができません。しかし、平成元年に市制100周年を記念して『巽櫓』が、これに続き平成8年3月には『東御門』が日本の伝統的な木造工法により復元されました。
本丸跡には家康公の銅像がたっており、その横には家康公お手植えのみかんの木があります。

東御門
東御門

東御門は、駿府城ニノ丸の東に位置する主要な出入口でした。この門はニノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、 南および西の多門櫓で構成される桝形門です。桝形門は、要所に石落とし、 鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実践的な門で、戦国時代の面影を残しています。
東御門の前が安藤帯刀の屋敷であったことから「帯刀(たてわき)前御門」、また、台所奉公であった松下浄慶にちなんで「浄慶(じょうけい)御門」とも呼ばれ、 主に重臣たちの出入口として利用されました。
慶長年間に築かれた東御門は寛永12年(1635年)に天守閣、本丸御殿、巽櫓などと共に焼失し、寛永15年に再建されました。
今回の復元建物は、この寛永年間再建時の東御門・巽櫓の姿を目指し、日本の伝統的な木造工法によって復元したものです。

巽櫓南門(正門)
巽櫓南門(正門)

巽櫓は、駿府城ニノ丸の東南角に設けられた三層ニ重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置することから「巽櫓」と呼ばれました。 駿府城にはニノ丸西南の角に「坤(ひつじさる)(未申)櫓」もありました。
櫓は戦闘時には戦闘の拠点となり、望楼、敵への攻撃、武器の保管などの役目をもっていました。
焼失後、寛永15年に再建された巽櫓は幕末近くの安政大地震によって全壊してしまったと考えられています。 全国の城の櫓建築でも例の少ないL字型の平面をもち、駿府城の櫓の中では最も高く、“勝れた”櫓であったと言われています。

登呂遺跡・登呂博物館

登呂遺跡の概要
登呂遺跡の概要 登呂遺跡の概要

遺跡は昭和18年に発見され、昭和22年から同25年と40年に発掘調査が行なわれた。調査によって西暦2〜3世紀(今から約1,800年前)のころの弥生時代後期の遺跡で、12軒の家と2棟の倉庫から成る集落と、約8ヘクタールの水田との農村跡であることが明らかにされた。集落は河原に土砂の積もった自然堤防上に立地し、水田はそれより若干低い湿地帯に営まれていた。12軒の住居跡はいずれも小判型の平面をしており、周囲の土堤を築いた『平地式住居』である。上屋は4本柱で支えられ、床面には炉の跡が見つかった。2棟の倉庫は4本柱の『高床式倉庫』で、ムラの中心部に建てられていた。倉庫の出入りには梯子が用いられ、柱のつけ根にはネズミ返しがとりつけられていた。水田跡は、約250m×400mほどの広さをもち、杭や矢板によってつくられた畦畔で区切られ、約40面の田地が認められた。また、水田の西側よりには全長430mほどの水路が設けられていて、下樋形式の暗渠や、堰などの施設が発掘された。木製の容器、田下駄・鍬などの多種多様な木製品、その他の生活用具が出土している。
 遺跡はこのように、古代の農村の姿が具体的に理解されるので、昭和27年国の特別史跡に指定され、保護保存のために各種の手が加えられている。現在遺跡公園として保存されている総面積は、70,182.59平方メートルで、そのうち59,990平方メートルが特別史跡に指定されている。内訳は、水田跡面積が24,690.70平方メートルで、森林跡面積が579.95平方メートル、残りが公園分面積(居住跡・倉庫跡を含む)39,700.39平方メートルと、博物館・美術館面積5,211.55平方メートルである。

久能山東照宮

久能山東照宮

徳川家康公の遺言により、遺骸はここに葬られ、壮麗な社殿が造営されました。権現造りといわれる建築物は、極彩色の総漆塗りで、そのいくつかが、国の重要文化財に指定されています。社殿の後方には家康公の眠る廟所があります。また、境内には、東照宮博物館があり、家康公が愛用した宝物類を保存展示してあります。

梅陰寺(ばいいんじ)

梅陰寺(ばいいんじ)

臨済寺妙心寺派に属し、開山は足利時代と伝えられています。
境内には、有名な清水次郎長の墓をはじめ、妻のお蝶、子分の大政、小政の墓や遺品が残っています。
また、侠客としては全国で唯一人、次郎長の銅像が建てられています。初代の銅像は太平洋戦争で供出され、現在のものは昭和27年、堤達男氏の作です。背後の石垣は、駿府城を、前の池は駿河湾を表しています。

東海大学教育センター~海洋科学・自然博物館~

自然博物館(恐竜館・地球館)
自然博物館(恐竜館・地球館)

体長28m世界最長の草食恐竜デイプロドクス。暴君恐竜タルボザウルス。巨大な3本の角をもつトリケラトプス。体長1.5mの可愛いプロトケラトプスなど、恐竜の足音が聞こえてきそうです。ここは、日本最大級の恐竜化石の宝庫。絶滅した哺乳類化石も必見です。

海洋科学博物館
海洋科学博物館

350種、2万びきの魚が泳ぐ水族館です。なかでもマグロやカツオなどの大型回遊魚が泳ぐ同館自慢の海洋水槽は、四方ガラス張りで、海底面にはトンネルがあって魚の泳ぎをお腹側からも観察することができる360度エンドレスに楽しめる水槽です。
波の起こるしくみや、太陽の届かない海底の水温はなぜ冷たいのかなど、海の姿を実験などで体験できるマリンサイエンスホール。海の生き物の動きをロボットにした機械水族館の3つのフロアからなっています。

次郎長生家

次郎長生家

場所は、日の出埠頭・港橋近くにある次郎長通り商店街。
次郎長が使った道具が当時のまま保存され、写真や資料が展示されています。
現在は、おみやげ屋さんです。

三保の松原

三保の松原

羽衣伝説で有名な三保の松原は、平安の昔から景勝の地とされ、白砂青松にそそりたつ富士を眺めに多くの人が訪れます。
浜は天女が舞いおりたとされる羽衣の松と呼ばれる樹齢約650年の古松があり、近くの御穂神社には、羽衣の切れ端が保存されています。
また周辺の海岸にはレジャー施設が整っていて、一年を通じて楽しめます。

羽衣伝説
羽衣伝説

昔々のおはなし。三保の村に伯梁という漁師が住んでおりました。ある日のこと、伯梁が浜に出かけ、浦の景色を眺めておりました。ふと見れば、一本の松の枝に見たこともない美しい衣がかかっています。しかし、あたりに人影はありません。誰かの忘れ物だろうと、伯梁が衣を持ち帰ろうとしたそのとき、どこからともなく天女があらわれてこう言いました。『それは天人の羽衣。どうそお返しください』ところが、それを聞いて伯梁はますます大喜び。『これは国の宝にしよう』とますます返す気配を見せません。

すると天女は『それがないと私は天に帰ることができないのです』とそう言ってしおしおと泣き始めます。さすがに伯梁も天女を哀れに思い、こう言いました。『では、天上の舞いを見せてくださるのならば、この衣はお返ししましょう』天女は喜んで三保の浦の春景色の中、霓裳羽衣の曲を奏し、返してもらった羽衣を身にまとって、月世界の舞いを披露しました。そして、ひとしきりの舞いのあと、天女は空高く、やがて天にのぼっていったといいます。頃は十五夜。それは月明かりが美しい宵のことでした。

日本平

日本平

日本平は、標高308mの平原です。山頂からの展望はすばらしく、特に見える富士山は四季折々に表情を変え、人々を魅了します。また南端は別名屏風谷と呼ばれる海蝕崖で天下の奇観です。山頂からはロープウェイもあり、この谷を越えて久能山東照宮を結んでいます。周辺にはハイキングコースや動物園などもあり、家族で楽しめます。

“赤いくつ”の女の子・母子像
“赤いくつ”の女の子・母子像の池

野口雨情によって歌われた童謡”『赤い靴』はいてた女の子”とその母親は旧清水市(現在:静岡市清水)の出身です。女の子の名前は岩崎きみ、母親はかよといいます。
明治35年7月15日、清水で生まれたきみは母親と共に北海道へ渡り、やがてアメリカ人宣教師夫妻の養女となり、”横浜の波止場から船に乗って”アメリカへ渡るはずでした。ところがきみは不治の病に冒されアメリカへ渡ることもできず、母かよと離ればなれのまま、幸せ薄い9才の短い生涯を閉じました。再び会うこともなく逝った母と子を、生まれ故郷の清水市に帰してあげたいという市民の声が実を結び、全国から寄せられた浄財をもとに『赤い靴の女の子の母子像』が清水を見おろす日本平の山頂に建立されました。

清水港

清水港

富士を望み、三保半島に抱かれた天然の良港 ”清水” は、日本3大美港のひとつに数えられています。
京浜・中京両経済圏の中間に位置し、国際貿易港として発展してきました。
また、近年は、帆船や豪華客船の寄港地としても注目を集めています。
清水港は国際貿易港であるとともにマグロの水揚げ日本一を誇る漁港でもあります。

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