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焼津市

ディスカバリーパーク焼津

天文科学館「ときめき遊星館」
天文科学館「ときめき遊星館」

『ディスカバリーパーク焼津』は、天文科学館『ときめき遊星館』と温水プール『水夢(すいむ)館』を核とする複合施設で、1997年7月20日にオープンしました。「宇宙」・「海」・「自然」の3つがテーマを通して、ここを訪れる人たちが「不思議・好奇心・発見」に出会うきっかけづくりを目指しています。私たちを育んでいる地球や宇宙に思いをめぐらし、新しい発見や感動に出会うステージ。それが『ディスカバリーパーク焼津』です。

天文台
天文台

ドーム直径8m
口径80cm赤道儀式反射式天体望遠鏡
天文科学館『ときめき遊星館』に設置されている天体望遠鏡は、焼津に生まれ育ち、世界的な望遠鏡製作者であった故・法月惣次郎さんによって造られたものです。

展示館
展示館

宇宙から地球の様子をのぞいたり、宇宙旅行をシミュレーションしたりすることができます。見て、触れて、体験しながら、楽しく科学に親しめます。土日、祝日には公開実験も行なわれます。

屋上展望スペース
屋上展望スペース

眼下に富士山、駿河湾、伊豆半島を一望することができます。360度のパノラマを満喫してくだい。銀色のドームには太陽望遠鏡が設置され、館内で映像を見ることができます。

プラネタリウム(日本初ジェミニスターシステム)
プラネタリウム(日本初ジェミニスターシステム)

最新鋭の光学式とコンピュータグラフィック式の融合型プラネタリウムです。ドーム径18mの大迫力で、神秘的な星空が細部までリアルに再現されています。座席数は180席です。

温水プール「水夢館」
温水プール「水夢館」

25m8コースの公認プールを中心に小プール、幼児用プール、ウォータースライダーの合計4つの温水プールがあり、1年中子供から大人まで楽しむことができます。また、セラミックろ過装置により透明度の高い清潔な水を使用しているため、安心して水に親しめます。

虚空蔵尊

虚空蔵尊

當目山香集寺の本尊である虚空蔵菩薩は、聖徳太子の作といわれ、伊勢朝熊(国宝)、京都嵐山とともに日本三大虚空蔵尊の一つに数えられるもので、弘仁6年(1160余年前)弘法大師が當目山に安置したと 伝えられています。毎年2月23日のダルマ市には家内安全を願いダルマを買う人々で賑います。
 虚空蔵山中腹にある仁王門は木造寄棟造り瓦葺き、間口二十一尺八寸、奥行十一尺六寸、梁高十四尺、棟高二十三尺の八脚門。左右後部に仁王尊(金剛力士像)がまつられており、棟瓦には田中城主本多家の立葵の紋が残っているところから、田中城主の修復がうかがわれます。
虚空蔵山を登って行く途中に仁王門があります。
香集寺は弘徳院の裏にある虚空蔵山の山頂にあります。船舶無線電信発祥の碑は香集寺の隣にあり、日本で初めて船舶無線電信の実験をしたことで知られています。

大崩海岸

大崩海岸

焼津市と静岡市との境にある豪快な海岸で、かつては『東海の親不知』といわれた難所でした。
 現在は、断崖上の海岸を国道150号が走り、国道150号バイパスや東名高速道路、東海道本線・新幹線は海岸のすぐ西側を日本坂トンネルで越えています。
 黒潮浴びる断崖と富士の眺めが素晴らしく、途中の小浜海岸におりればクロダイなど磯釣りも楽しめます。
天気の良い日には紺碧の海の彼方に富士山と伊豆連山を見ることができます。

焼津さかなセンター

焼津さかなセンター

焼津さかなセンターは東名焼津インターチェンジに隣接し、約8,000平方メートルのセンター内には72店舗が大集合しています。
 さかなセンターは、日本屈指の漁港、焼津港・小川港に水揚げされる海の幸を、そっくりそのまま運んできていますので、種類も豊富で鮮度も抜群です。鮮魚のほかにも水産加工品や干物、のりなど品揃えが豊富で、さかなの本場、焼津ならではの味を楽しむことができます。
また、1,200名収容可能な「さかな大食堂」もあります。

焼津港

焼津港

焼津港は、遠洋マグロ・カツオの根拠地として世界有数の水揚高を誇り、現在、港に水揚げされる漁獲高は年間約21万t、約504億円にものぼります。
 市場では早朝から活気に満ちたセリがおこなわれ、新鮮なカツオやマグロがセリ落とされていきます。
 また、焼津港近くには焼津漁業資料館があり、焼津の漁業の沿革等を詳しく知ることができます。

小泉八雲風詠の碑

小泉八雲と焼津
牧之原公園

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン:1850-1904)は、明治23年4月、40歳の時日本に来ました。そして、明治30年(1897年)初めて焼津を訪れました。水泳の適地を探していた八雲は、焼津の海が気に入り、明治32年・33年・34年・35年・37年の夏のひとときを家族と共に山口乙吉宅(現在は明治村に移築されています。)で過ごしました。
八雲は乙吉を「乙吉さ〜ま」と呼び、「神様のような仁です」とたたえ、乙吉は八雲を「先生さ〜ま」と呼び大変尊敬していました。
焼津での八雲は、水泳が好きで当目や和田の海岸に泳ぎに行ったり浴衣に麦わら帽子、草履ばきといった姿でお寺や神社をたずねたりして過ごしていました。
新川橋のたもとから城之腰、鰯ヶ島に至る海岸通りは「八雲通り」と愛称され、親しまれています。八雲が、焼津を題材とした作品には「焼津にて」「漂流」「海辺」等があります。
八雲が滞在していた家は、現在、明治村に移築されてここにはありませんが、NTT支局近くにあるその跡には記念碑が建てられています。

小泉八雲 年譜
1850年6月27日 ギリシャに生まれる。
1869年 渡米後新聞記者となる。
1885年より2ヶ年 西インド諸島を旅行する。
1890年4月 日本に来て島根県松江中学校の英語教師となる。
1891年11月 熊本県熊本第五高等学校に転勤。
1896年 東京帝国大学文学部講師となる。
1897年8月 初めて焼津に来て山口乙吉方に滞在
1899年8月 来焼乙吉方に一ヶ月滞在
1900年8月 20歳以上の方で来焼乙吉方滞在
1901年8月 来焼乙吉方滞在
1902年7月 来焼二ヶ月乙吉方滞在
1904年8月 来焼一ヶ月乙吉方滞在
1904年9月26日 逝去(享年54歳)

大井八幡宮

藤守の田遊び(国指定重要無形民族文化財)概略
藤守の田遊び(国指定重要無形民族文化財)概略

藤守の田遊びは藤守の氏神大井八幡宮に伝わっている郷土芸能である。毎年3月17日の祈年祭には氏子中の未婚青年男子によって夕方から夜にかけておこなわれる。
 田遊びは昔農人が耕作や取入れの状を芸に仕組み増産を神に祈って奉納した舞楽で室町、鎌倉時代に最も盛んに行われたという。田遊びが行われるようになったのは、寛和元年(985)に社殿を再建し川除守護神を奉斉し、治水を祈願し、祭祀を厚くし田遊びを奉納したという。その後天正年間1573年に今のように田遊びの形体と例式を確定したといわれる。
 田遊びの舞は長刀、振取、御獅子、鍬入、荒田、寄塗、水口申、鳥追、山田、徳太夫、田植、代草、孕早乙女、小編木、早乙女、高野殿、棒、神子舞、間田楽、猿田楽、宝来、稲刈、長刀、御獅子の二十五番に仕組まれその前後に帳付、宮籠、水祝、御供練、御供納、内祭の儀、外祭の儀、御供割、雑事等と呼ぶ神事が伴って行われる。

不動明王立像

不動明王立像(有形文化財)
不動明王立像(有形文化財)

飯淵の長徳寺の本尊仏で、室町末期の作です。寺伝では弘法大師の作といわれています。側に『コンガラ童子』、『セイタカ童子』の2人を従え、火焔を背に剣を構えた姿は破邪顕正の威光を現しています。

長徳寺の本開帳と例祭
長徳寺の本開帳と例祭

お不動さんと呼ばれる2月末日の例祭。12年に1度、酉年の時『本開帳』という大祭が行われます。この時は本尊仏の不動明王が公開され、供養塔が建てられます。
長徳寺格天井の絵
 本堂の格天井のマス目一つ一つには、それぞれ異なる花が描かれています。野口幽谷の門人益津峻南他5名の筆になるものです。見事に表現された花々に飾られた天井は、県下でも大変珍しいものです。総数96枚を数えます。

大井川西小学校の「はばたきの門」

大井川西小学校の「はばたきの門」

上泉にある焼津市立大井川西小学校の正門は、東京大学の『赤門』を摸した門で、本家、東大から図面を借り受けて設計、建設された本格的なものです。
 門の大きさは東大の『赤門』の約10分の8になっており、高さが約8.1メートル、門構えの幅が約7.85メートル。横壁が両側に5メートルずつ広がっています。柱、梁は鉄筋コンクリート製で、屋根の下地は木製、瓦は日本瓦葺きとなっています。
 大井川西小学校では、校舎の新築工事に合わせて『学びやの象徴となるもの』としてこの門が選ばれ、『子供たちに大きな夢を与える学校づくりの一環』として建設された後、子供たちによって『はばたきの門』と名付けられました。
大井川西小学校の『はばたきの門』は、校舎の新築工事(平成8年1月完成)に合わせた外構工事の一環として建てられ、平成9年10月26日に完成しました。『はばたきの門』は『心の教育のシンボル』になっています。

航空自衛隊静浜基地

航空自衛隊静浜基地

航空自衛隊静浜基地は航空自衛隊のパイロットになるために、学生が最初の操縦訓練を受けるところです。
 静浜基地では、平成6年から地域に根ざしたイベントとして航空祭を毎年開催おり、飛行機やヘリコプター等の地上展示、地域の特産品や基地後援会員による観光物産展の展示即売会、基地隊員による各種模擬店などいろいろな催し物が行われ、大勢の見物客が訪れます。

F-104J要撃戦闘機

F-104J要撃戦闘機

ロッキード社で開発され、日本では三菱重工により生産された航空自衛隊の主力戦闘機で昭和37年から昭和60年まで防空任務につきました。

F-86D全天候戦闘機

F-86D全天候戦闘機

F-86シリーズのうちレーダーを装備した戦闘機で、昭和33年から昭和44年まで122機が運用されました。

T-33Aジェット練習機

T-33Aジェット練習機

ロッキード社初のジェット戦闘機P-80を母体とした戦闘機で、数多くの航空自衛隊パイロットを養成した機体です。日本では川崎重工で生産されました。

F-86F昼間戦闘機

F-86F昼間戦闘機

第二次大戦後の一時期を代表する傑作機で昭和30年から昭和52年まで航空自衛隊で防空任務にあたりました。また、初代ブルーインパルスの使用機でもあります。

C-1中型輸送機

C-1中型輸送機

入間、美保両基地へ配備され物資輸送、人員輸送、空挺降下支援、災害派遣等に運用されます。

E-2C早期警戒機

E-2C早期警戒機

長距離捜索レーダー、レーダー逆探知装置などを搭載し、低空侵入機の早期発見及びレーダーサイトの代替等を任務とします。(三沢基地配備)

MU-2救難捜索機

MU-2救難捜索機

各種救難装備品を搭載し、遭難者の早期発見、救難資材の投下、救難用ヘリコプターの誘導等を任務とします。

T-3型初等練習機

T-3型初等練習機

航空自衛隊発足当時から使用されていたT-34メンターの後継機として開発され、昭和52年度末から配備が始められた練習機です。

CH-47J輸送ヘリコプター

CH-47J輸送ヘリコプター

入間、三沢、春日、那覇基地へ配備され、主として滑走路のない基地への人員、物資の輸送のため運用されます。

UH-60J救難ヘリコプター

UH-60J救難ヘリコプター

赤外線暗視装置、地形追従レーダー、慣性航法装置等を搭載した救難ヘリコプターで、各救難隊へ配備されます。

OH-6D型ヘリコプター

OH-6D型ヘリコプター

偵察、指揮連絡、着弾観測用の小型軽量ヘリコプターです。

AH-1S攻撃ヘリコプター

AH-1S攻撃ヘリコプター

対戦車ミサイル、70mmロケット弾、3銃身20mm機関砲で武装し、対戦車、対地攻撃を任務としています。

T-6型練習機

T-6型練習機

1940年(昭和15年)米国で初飛行した練習機で、第2次大戦中米国や連合国でパイロットの養成に使用されました。日本へは昭和29年航空自衛隊へ167機、海上自衛隊へはSNJの名称で48機が供用されました。

ビーチクラフト/富士T-34練習機

ビーチクラフト/
富士T-34練習機

航空自衛隊発足当初20機が輸入され、以降ノックダウン生産などで合計125機が富士重工において生産された初等練習機で、昭和30年10月から納入が開始されました。

資料館

資料館

資料館ではブルーインパルスのアクロバット飛行のビデオ上映や、写真、模型の展示等がされており、訪れた人々は熱心に見入っていました。

大井川河口野鳥園

大井川河口野鳥園 大井川河口野鳥園

大井川河口は県内でも有数の野鳥の生息地として知られ、年間を通して80種類以上が確認されています。秋から冬にかけてカモ類やカモメ類、春から夏にかけてコアジサシやオオヨシキリなどが渡ってきます。また、春、秋にはシギ・チドリ類が渡りの中継地として羽を休めます。特に冬季には50〜60種、1,000羽前後の水鳥たちが常に羽を休め、バードウッチングの絶好の場所となっています。
 ここには、野鳥とのふれあいを深めていただく野鳥園、野鳥の壁画、展望台などのほか、鳥をイメージしたトイレ・休憩所なども整備されています。雑音のない静かな時間を、鳥たちを眺めて過ごす貴重な体験が味わえます。
四季折々の水鳥たちや美しい風景が望める展望台は高さが約5メートル。大井川河口や野鳥園のほか駿河湾も一望でき、晴れた日には正面に富士山の全景が眺められます。
野鳥園前の海岸堤防430メートル・大井川堤防170メートルには、約100種1,000羽以上の野鳥が描かれています。単に野鳥の紹介だけでなく、大井川河口の豊かな自然をPRし、イメージアップにと、昭和61年から制作が始められました。制作に参加したのは、 地域の人々を中心とした一般応募者のほか、大井川中学校と大井川高校の美術部など、ボランティアのみなさんです。夏休みを利用しての制作では、炎天下、汗びっしょりになりながら一羽一羽心を込めて描き上げました。この付近で見られる野鳥はもちろん、春や秋にしか飛来しない珍しい姿も描写され、多くの人の目を楽しませてくれています。

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